date2017-05-19
第9話 1年後の握手

>>写真1
>>写真2

 プロの世界で一番になれますように。そんな願いを込めて、2016年の新人合同自主トレーニングは1月11日11時11分11秒に始まった。ドラフト1位入団の平沢大河がプロ野球選手として第一歩を踏み出した日、吐く息は白く軽やかに弾んだ。一度きりの瞬間を収めようと多数の報道陣が集結し、バットを振れば、その場にいる関係者は口々に将来性を絶賛した。平沢を含めた9人の新人選手は、名前と背番号が記された濃紺のビブスを身に付け、グラウンドにいる先輩を見つけては手袋を外して駆け寄る。自己紹介とともに初めて交わした握手は希望に満ちていた。至近距離で感じるプロの体格に圧倒されながら、いつか自分もプロ野球選手として大きくなり、憧れられる存在になりたい。微かな自覚を芽生えさせていく。新人選手の門出を祝福するように、グラウンド上空を明るい未来が優しく包んでいくようだった。

 2月になり、初の石垣春季キャンプはめまぐるしい日々だった。マリーンズのユニフォームを着て挑む、何もかもが初めての経験。練習後の囲み取材が日課となった平沢は、初日を終えて「練習についていくのに必死ですけど、新人なので自分から動けるようにしたいです」と、謙虚に言葉を紡いだ。打撃について、守備について、先輩について、同期について、ライバルについて。チームの雰囲気はどうか、緊張しているか、疲れは感じていないか、どんなアピールをしたいか……。キャンプの感想や意気込みだけでなく、数少ない休養日の過ごし方や、練習中に靴が脱げる些細なハプニングまでもが、連日ニュースとなって駆け巡った。注目度は日を追うごとに上昇していったが、高校時代に磨かれていた平沢は見事な対応をしてみせた。「注目していただけることは嬉しいですけど、結果を残さないと生き残れない世界。ありがたい反面、頑張らなくてはいけない」と、浮足立つそぶりを見せることは一度もなかった。

 いわゆるプロの壁を感じたのは、実戦を迎えてすぐだった。
「一軍の投手のボールが(バットに)当たらなかったり、守備でも多くミスをしたり。もっと練習しなきゃいけないですし、一軍のレベルに達するにはまだまだだなと感じましたけど、目指す場所が見えて、1年目から一軍を経験できたことは大きかったです」

 平沢のプロ1年目は、一軍で23試合に出場して打率.149。二軍では81試合に出場して打率.212。7本塁打を記録した。7月のフレッシュオールスターに選出され、8月に一軍公式戦でプロ初ヒットを放った。一軍と二軍を行き来する日々のなかで、全てが貴重な経験として蓄積されていった。

>>写真3

 その瞬間がやってきたのは、10月上旬の二軍球場。『みやざきフェニックス・リーグ』の開催地へと旅立つ直前のことだった。そこにいた何人もの先輩は皆、同じ思いを伝えようとしていた。あらゆる気持ちが凝縮された「がんばれよ」という短い言葉を、平沢は精一杯受け止めた。未来を見据える新人選手に託すように送られた最後のエール。先輩たちはその後、チームを去って新たな人生の道を歩み始めたのだった。

 さらに数週間後、平沢はドラフト会議のテレビ中継で1巡目指名の様子を視聴していた。交渉権獲得が決まった選手たちが祝福される光景は眩しく、1年前の自分も同じような歓喜の中心にいたはずだったが、「僕もあんなところにいたんだなと、懐かしく見ていました」。当時味わった喜びが色褪せたわけではない。ただ、プロとして生きる濃密な日々によって、少しばかり懐かしさを含むようになっていた。

 初参加となる11月の鴨川秋季キャンプでは、スピードとパワーアップをテーマに掲げた。午前中に陸上競技場でひたすら走り込み、巨大なタイヤを押し、そのタイヤにハンマーを振り下ろし、重力に耐えてロープを操り、重い円盤を持ち上げ、体幹トレーニングに顔をしかめる。立ち上がるのが困難になるほど多彩な体力強化メニューをこなしたあと、午後はグラウンドで懸命にバットを振り、守備練習ではサブグラウンドの土にまみれた。ボールが見えなくなるほど辺りが暗くなったら、明かりの灯る室内練習場に移動してまたバットを振り込む。自分自身の成長に費やした秋のキャンプを終えると、平沢は息つく間もなく、ウインターリーグに出場するために台湾に渡った。誰よりも長く野球に臨んだ日々は充実していた。マリーンズのユニフォームに袖を通してから走り続けた日々が一段落したとき、胸に宿る来季への決意は固かった。

>>写真4

 2017年1月。プロ2年目を迎えた平沢は、寮から徒歩圏内に位置する二軍球場で自主トレの日々を送っていた。その日もまた、視線の先にいる集団の足音はグラウンド内の目的地へと向かっていく。「よろしくお願いします」と、白い息を切らして手を差し出すのは、名前と背番号が記されたビブスを身に付けた新人選手たちだ。先輩への挨拶を終えた彼らは、報道陣を引き連れるようにして合同練習に戻っていく。その背中には、真新しいようでいて、見覚えのある番号が並んでいる。

 平沢の初対面の場所は選手寮だった。あの秋のドラフト指名を受けて入団した9名の選手は、19歳の平沢にとって年上がほとんどだったが、プロになって初めてできた年下の後輩、島孝明種市篤暉の姿はどこか初々しく映った。投手と野手でポジションは違うけれど、後輩には負けられない。新たな自覚を芽生えさせた平沢は、2年目の握手を交わす。寮の玄関に掲げられた在室を示す名札の並びも一新され、顔ぶれは確かに変わったが、この頃にはあらゆる想像ができるようになっていたから、寮生活の空気の変化も不思議と大きくは感じなかったのだった。

 それらはプロ野球の歴史でずっと続いてきた循環なのかもしれなかった。グラウンドで合同練習に励む新人選手に1年前の自分を重ねてみると、「懐かしい。自分もあんな感じだったんだな」と、素直な気持ちが湧いて出た。そんなことを思った2年目の始まりは、何も知らなかった頃よりも確実に進歩していた。

>>写真5

 2017年は鈴木大地が遊撃手から二塁手に転向し、内野手の構図は大きく変化した。平沢は春季キャンプの対外試合で本塁打を放ち、紅白戦の2試合で9打数5安打と存分にアピールしてみせた。自身初の開幕一軍を掴み、4月後半から8試合連続安打、11試合連続出塁を記録。現時点で初年度を上回る28試合に出場して打率.211。レギュラー奪取に向けた一進一退の競争が続いている。

「負けたくない気持ちもありますし、チャンスを多くいただいているので、それをものにするのが一番です。体づくりも大事ですし、技術的な部分も成長しなくてはいけないので、一日一日必死にやっています。打てたり、打てなかったりすることもありますけど、日々の練習を大事にして、(野手では)一番下の選手なので若さを出していきたいです」

 5月17日の試合後、平沢に今季初の二軍行きが言い渡された。しかし、その日の平沢は自身の将来像について話していた。「チームの顔になりたいです」と即答する顔は、しっかりと前を向いていた。

 上手くいくことも上手くいかないことも、経験のひとつひとつに意味がある。毎年交わされる握手のように、受け継がれていく背番号のように、同じ繰り返しに見える出来事も、それらを構成するものは全てが個性ある光を放っている。
 激しい変動のなかで唯一変わらないものがあるとすれば、プロ野球選手として第一歩を踏み出した日の誓いだ。明るい未来は今もグラウンド上空を包んでいる。時に希望の空を見上げながら、かつての新人選手は臆することなく自らの野球人生を歩み続ける。プロの世界で一番になれますように。そんな願いを込めて。

長谷川美帆(千葉ロッテマリーンズ オフィシャルライター)=文 text by Miho Hasegawa

戻る

バックナンバー

icon日記・コラムトップ
iconトップページ